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Graduation Book
微積分に対する考え方
趙 ZIJIAN

日本で勉強しているうちに、日本の教育の様々な科目への考え方を実感した。その考え方は勿論、中国のそれとはかなり異なっている。倫理や政治・経済を学ぶ「公民」と言う科目が中国では「社会と政治」と呼ばれるということも相違点の一つである。ここでは数学、とりわけその中の微積分に対する考え方の違いを見てみたいと思う。  微積分とよく言われるが、実は微分と積分とは別々のものである。日本では文部科学省によりシラバスが一様に定められているため、理系ならば必ず微分と積分の両方を学ぶ。それに対して、中国は地域によってシラバスが異なっており、微分しか学ばないところもあれば、積分しか学ばないところもあるし、そもそも微積分には全く触れないというところもある。しかし、どの地域でも「極限」を学ばないという共通点がある。そして、それは日本では考えられないことなのだ。  ここで、極限と微積分との関係を明らかにしなければならない。両者の関係はある意味、足し算と掛け算との関係によく似ていると私は思う。掛け算の意味を理解するためには、まず足し算の意味を予め理解しておく必要がある。いわば、掛け算の定義は足し算のそれに基づいているわけだ。それと同じく、微積分の定義は極限に基づいており、後者を理解しないことには前者を理解するのは不可能ということだ。  それなのに、なぜ中国では極限を学ばずに微積分を学ぶのか。足し算を学ばずに掛け算を学ぶようなもので、あり得ないのではないか。実はそうでもない。よく考えれば、掛け算はただの計算の道具であって、その計算の方式(例えば九九)さえ知っていれば、結果の意味が分からなくても、結果を得ること自体に何の問題もないはずだ。つまり、中国の学生はおよそ微積分の計算はできるが、その真の意味を理解してはいない。  また、中国では微積分の内容を「高等数学」と呼ぶのだが、日本を含め、多くの国ではそうは呼ばない。実際、微積分は基礎の中の基礎であって、数学家からすれば数学というより算数に等しいほど簡単なものだろう。さらに、微積分自体に比べ、その中に秘められている極限の考え方のほうがよほど重要なのだが、中国の高校では微積分の応用にのみ注目し、本質の理解は大学に任せている。どちらの教育方法も長短があるため、どちらがより優れているとは一概に言えないが、その違いから二つの国の考えの違いが窺えるのではないかと思う。

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